| [ 『季刊 武術』掲載記事インデックス 2001年冬号 ] |
|編集|
|
心意六合拳と六合心意拳と形意拳
心意六合拳、六合心意拳、形意拳の三門派は中国においてさえひとくくりに語られることが多い。心意六合拳や六合心意拳が形意拳の源流として認知されつつもその実態を見る機会が極端に少ないせいであろう。ゆえに似たようなものとしてひとくくりにされてしまうのであろう。取材班が感じるところでは、実際にはそれぞれ独立した門派であることは取材を通して実感されるところであり、また心意拳が形意拳の源流であるということにも、実は違和感を覚えているのである。似ているといえば似ているのだが、別掲の表にもあるように根本の部分に相当な差異があるのだ。(表1.2)

*掲載内容をもとにウェブ用に新しく作成

*掲載内容をもとにウェブ用に新しく作成
ここに面白い一本のビデオがある。タイトルに「河北深州国際形意拳交流大会」とあり、1995年に行われた形意拳の大会記録である。様々な形意拳が一堂に会し、表演採点方式で競うのである。このビデオを進呈いただいた内家拳研究会代表の楊進師範によると「この競技会は形意拳各派のほかに戴氏心意拳(編集部注:山西戴氏六合心意拳)も出場して採点の対象となるんだけど、心意六合拳(編集部注:河南馬氏心意六合拳)は、なぜか採点競技への出場は認められず表演だけなんだよ」とのことであった。採点競技は五行拳の部と連環套路の部に分かれており、心意六合拳は五行拳が無いからかな? とか、連環套路は四把捶だけで、形意拳の套路とは共通点も少なく採点基準が無いからかな? などとも考えた。楊進師範は「形意拳側が心意六合拳側に、自分たちの源流として敬意を表したんじゃないかな?」と語ったのが印象に残った。
| Comment by K.Kitanishi 伝承の系譜については、記録に残っているのものをたよりに考察するしかありません。しかし、言い伝えや文字として残っているものについても、真偽のほどが疑われるような場合もあります。どれがそうだというよりも、門派・系統によって同じ名前のものが異なっていたり、文章は伝えられていても技術と摺り合わせが難しいなど、言いたくないけど、よく分からないことがあります。特に他派については強烈に辛口になり、いがみ合いの原因になったりもします。戴式心意は、どのような原因かは知り得ませんでしたが、山西の武術界ではとかく評価が低かったことが印象的でした。今現在となってはその地位が上がってきました。ちなみに本文にある、1995年の河北深州国際形意拳交流大会では、山西省形意拳協会がイニシアチブを執りました。河南の心意六合拳については、競技の採点ができる体制でなかったため、オブザーバー参加だったということです。 |
心意拳は原石、形意拳はダイヤ?
先に取材班は心意拳が形意拳の源流であることに疑問を持つ、と述べたが形意拳創始者が李洛能であることは、これまで発表された文からも間違いないのである。人によると「心意拳は原石で、形意拳は洗練されたダイヤみたいなもの。原石だからといってありがたがるものではない、形意拳は実用の基準に照らし合わされてきた発展型である」という。事実、形意門からは多くの大名人たちが輩出されいる。それに比べてしまうと山西戴氏六合心意拳でも河南馬氏心意六合拳でも秘密閉鎖主義が強く、伝人が極端に少ない。しかし、先述したように“発すれば必ず勝ち、百戦百勝の技”は伝承されていると確信しているのである。抽象的なものであったり、妄想であれば歴史の波に淘汰されているはずだ。
では山西戴氏六合心意拳と河南馬氏心意六合拳、それに形意拳はどのような差異があるのだろう。取材した範囲内で分かったことのみ記す。異見があることはいうまでもないが、あくまで便宜上のものとして考えていただきたい。(表3)
| 山西戴氏六合心意拳 | 河南馬氏心意六合拳 | 形意拳 | 意 拳 | |
| 椿法 | 丹田功(動功) | ? | 三体式(静功) | 站椿(静功) |
| 単式拳法 | 七炮・七膀・五行拳・十大形・七小形拳 | 十大形 | 五行拳・十二形拳 | なし(?) |
| 連環套路 | 四把・閘勢 (閘勢は“ザーシー”と発音され形意拳の雑式捶と発音が似ており、套路内容にも部分的に類似点があり興味深い) | 四把捶 | 四把捶・五行連環拳・雑式捶など | なし |
| 対練套路 | なし ※ただし“磨手”とよばれる対打散打がある。 | なし | 五行相生相手剋、安身炮 | なし ※ただし実作とよばれる対打散打がある。 |
| 主要兵器 | 短棍、槍と棍はあい兼ねる | 二節棍(?) | 槍 | ? |
考察される事柄
1 意拳を除き、いずれも単式拳法が豊富であり重要視している。
2 連環套路にはいずれも四把捶がある(形意拳のものはだいぶ風格が異なる)。
3 山西戴氏六合心意拳と河南馬氏心意六合拳には対練套路がない。
4 山西戴氏六合心意拳には静功がなく概念もない。動功を重視する。
5 主要兵器が四門とも異なる。これは重要なことで、昔日の戦闘場面において素手の戦闘はごく稀な状況でしかあり得ず、何らかの兵器を用いていたと考えられることから徒手拳法にはその名残りが確認されるはずであろう。記したように主要兵器がもし仮に違うのであれば、戦術も違ってくる。そうなると同系統の武術とは断定できなくなる可能性がある。
6 形意拳は基本架式が三体式(後屈)であり、山西六合心意拳とかなん馬氏心意六合拳には三体式がなく、基本架式は弓歩(前屈)である。しかし基本架式でありながら、その弓歩の作り方には歩幅や概念などに差異がある。
7 形意拳の主要攻撃部位が梢節(手足の先端)だるのに対し、河南馬氏心意六合拳では根節(体根幹部)による攻撃を主とする。さらに山西戴氏六合心意拳はその中間に位置するように思える。これは五行拳の有無とも考えられる(形意拳と山西戴氏六合心意拳には五行拳があり、河南馬氏心意六合拳にはない)。
8 少林寺の床のくぼみは心意把の震脚によるものと推測されるが、心意拳に明確な震脚動作はみられない。
| Comment by K.Kitanishi 心意把から河南と山西の心意拳、形意拳から意拳、という流れは歴史的な経緯をみれば後先、源流/原型、代下がりなどと各派どうしでの摩擦を生じる要素を帯びてきます。しかし、それは時間軸の話で、現存する門派の技術比較にはあまり関係がないと思います。つまり、古いのがいいとか、新しいのが上とはならないです。 となれば、それぞれが独立した一流との認識に立つべきです。構成員・参加者が存在する中国武術の流れは尊重されなければなりません。ある意味では領空侵犯めいたことはやるべきではありません。どこかでやられている、同じ技法や定式の写真をずらっと並べて優劣を比べてみよう、では実りがありません。誰でも実践者は自らの練習しているものが一番になるからです。仮に自分のやっている技との相違があったからと言って、それがコンセンサスを持った優劣評価の対象になろうはずがありません。 「原石とダイヤ」の表現も、あまり的を得ているともいえません。原石ということはダイヤそのものであることには違いがない、ということですから。宝石系での例を引くなら強いて言えば、ルビーとサファイヤ/キャッツアイとアレキサンドライトの違いのほうが表現としてはいいかもしれません。 |
a>
