| [ 『季刊 武術』掲載記事インデックス 1996年夏号 ] |
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戴氏心意拳は、拳法ではなく武術である(本稿の題と矛盾していることをお詫びしなければならない)。両者の差異が論じられることはなく、意識することはないかもしれない。心意の徒手拳法と各種武器術が同一の理合いで備わっているがゆえに武術であると説く。多くの門派には武器術が伝承されているが、拳法の習得が終了した後の付録のような扱いになっていないだろうか。
戴氏心意一門の目録・伝統を規範とすれば、武器術を重要視していることが解る。徒手拳法に併せて、槍・棍を中心とした武器術(槍術と棍法と合い兼ねる)を両輪とする武術として一門を成す。心意拳法が槍法から編み出されたことは比較的広く知られている。しかし、通常の稽古でどのような位置にあるのか、徒手武術の理合い・実用の戦術とどのような関連性を持つのか、曖昧にされている。戴氏心意門内部には明確に存在している。そして、門外に出ることはない。
2・3メートル以上の大槍を扱う門派は少なからずあるが、戴氏の槍法は長い槍を用いない。扱うことができないのが事実である。武術の進化においては、時代的な背景も含めて徒手拳法より武器術が先んじると考えられる。一門の槍法と徒手拳法の特徴は、言うまでもなく一致しなければならない。仮に、戴氏心意門で大槍を用いることがあれば。別の武術の理合いが入っているか、真伝を受けていないと判断されかねない。注目する点は、実は槍の長さではなく、把式・勁道などが拳法と同じであるか、である。具体的比較までは言及しないが、流派を問わず、実際に槍を練習している人には理解しやすい部分である。
戴氏心意拳には、太極拳の推手に類似する化法の練功があることから、太極拳との関連性を指摘される。歴史的な進化や技術的な融合等は別の機会に論述したいと考えているが、各論とも徒手拳法にのみ注目されている感がある。化法は基本的に操槍法の技術から発展している。比較的短めの槍を用いる場合の特性が徒手拳法に反映された技術である。さらに補足すれば、陰陽五行説を基調とした戦術と合致することで、はじめて練拳に活きて「使える」技術となってくる。単に、『受け』や『サバキ』であるとか、『剛』に対する『柔』という認識では不十分であり、習得しても実用するのは難しい。
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