| [ 『季刊 武術』掲載記事インデックス 1998年春号 ] |
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王は呼吸を整えながら静かに正確な歩幅で動き始めた。騒ぎに吸い寄せられて壁のようになった群衆の背中と背中の間に肩を押し込むように入っていく。
両膝を地についてうずくまっている初老と、周囲の目に刺激されて初老をいたぶろうと息を昂らせる男たちが視界に入った。
すでに最悪の状況と判断した王は全身を意により統率する。心はすでに勇に充ち、気は身体を司る。心意の『内三合』である。
王は全身の力を抜き、歩が進むごとに背が丸くなり膝が折れ低くなる。『寒鶏歩』とは戴氏心意の根幹となる歩法である。鶏がひょこひょこと歩く様に似ている。初老の目前に立つ男との間合いと見切り、同時に勢いが乗り風を纏う。
一見して老人が口を結んで奇妙な走り方で躍りこんでくる。初老が王の姿に気づき、顔を上げる。
その視線の変化で初老に向けられていた殺気が一瞬とぎれた。
「なんだ、おまえは」
王は応えることなく迫る。男は反射的に左腕を伸ばし、遮ろうとした。
「ホッ」と短い気合いと共に『連珠炮』が男の左こぶしと左脇腹を的確に突き上げた。「うっ」と短いうめきが地に伏せた。
男たちは何がどうなったのか、理解することができない。王は既に次の標的に照準を定め、棒立ちの1人へ真正面に3足で突っ込む。
目を見開き、来たと思ったときにはすでに顎に連珠炮が炸裂し後頭部から地面に倒れる。
連珠炮は格闘技のアッパーカットとは発想自体が異なる。相手と空間を隔てた場合は一打一足に連動され、左右連続して繰り出す『招法』である。肩で間合いを見切る、つまり自分の肩での攻撃を極めの狙いとして構成されている、ゆえに、拳を主に用いる技法ではあるが、肩が遣える至近距離にまで詰める。
王の動きは端で見てもどうなっているのか、判断しにくい。男たちにも王の特異な動作は見たことのないものであったが、瞬く間に2人を倒したのには武術が遣われたことは想像できた。男たちは予期しない事態の展開に混乱した。
周囲が騒がしくなる。人の輪がさらに人を引き寄せ、円形の試合場と化す。数にモノを言わせ若さをまき散らし、よそ者がなじられるだけの見物が、一転して立ち回りになってきた。老人が独りで大勢の若者に対峙する姿は劇画を思わせ、ことの成り行きに釘付けとなっている。
「じいさん、すごいな」
誰ともなく発された一言が、号令となった。
「この野郎、痛い目に遭いたいのか」
「じじいのくせにおとなしくしろ」
男たちは喧嘩沙汰にも慣れているらしく、老人ひとりが手向かいしてくるだけだと判断したのか、反攻に転じる。
王はじっと立ち尽くしている。進み出てくる足音で数をはかり、癖を読む。呼吸を停めて、丹田に意識を置く。
「やってしまえ」
叫び声とともに数人が詰め寄る。男たちは、王の正面に攻防の場をつくり気をそらし、後方から捕らえてしまう作戦である。盛んに前方から威嚇する。
王は前方から2人、右から1人、後方から2人が来ると読む。方々から発せられる声には反応しない。複数の相手と闘うときには撰ぶ戦術を間違えると命取りに陥るやもしれぬ。瞬時に状況判断し、敵の出方ではなく自ら仕掛ける絶好のタイミングを狙う。
前方の1人が大股に歩を進め、「やっ」の気合いと共に王の脇腹にミドルキックを放つ。
王が動いた。半歩、外側に踏み込み脚を組むように腰を落とす。両腕は腹の前に垂れるように提げる。蹴りは空を斬っている。王は半身となり、すでに蹴りを繰り出した男を見ていない。
2人が後ろから王を捉えようと両手を開いて左構えで待ちかまえていた。王は真後ろの男に猛然と突っ込む。
提げた両腕を相手の左腕をかち上げながら頭の上で交叉させる。頭を抱えるようにして、左手で左手首を固め右肘が左脇を的確に捉えた。相手がバランスを崩したところでふたたび体を低くしながら両腕を一気に開き右裏拳で下腹部を叩く。
『白鶴亮翅(追風炮)』である。心意の技法で『開合』が顕われる転身の妙が著しい招法である。
2人がかりで後ろをとるつもり、もろくも目論見を外されてしまった。予測できない動きに、もう1人は王の正面に立たされ、完全に萎縮してしまう。身体を硬くして動けない。
王はすかさず眼付けを変えてミドルを放った男を目標に、歩を進める。
勢いに乗って迫ってくる王に再度、右ミドルを合わせようと構える。
王は連珠炮で1左、2右、3左と踏み出し、男は声を張り上げタイミングを計り右足で半円を描く。しかし、王は『箭歩』を用い、4歩目を右ではなく続けて左で滑るように踏み込み追風炮で頭を抱える。
男の蹴りは王を捉えられない。中心に入り胸と胸が触れるようになるまで接近したところで『鷹捉』に変化し、顔面を掻き毟る。男は海老反りになって倒れた。
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